ヒョウのハチと兵士の物語
ヒョウのハチ – 戦時下の感動物語
出会いと成長
1941年、日中戦争の最中、日本軍小隊長・成岡正久さんは中国湖北省で生まれたばかりのヒョウの子を発見し救出。第8中隊にちなんで「ハチ」と名付けました。兵士たちはハチを家族のように愛し、ハチも彼らに深い愛情を示しました。
別れと悲劇
1942年、部隊が前線へ移動することになり、ハチは上野動物園へ。人気者となったハチでしたが、1943年の「戦時猛獣処分」で毒殺され、剥製に。休暇中に帰国した成岡さんが動物園を訪れた時には、ハチはすでに亡くなっていました。
遺志の継承
戦後、成岡さんは動物園からハチの剥製を譲り受け、大切に保管。1981年に高知市子ども科学図書館に寄贈され、2018年からは「オーテピア高知みらい科学館」で展示されています。
現在の取り組み
戦後80年となる2025年、「ハチの像を建てる会」が発足。オーテピアの敷地内にハチと兵士(成岡さん)の像を建立する計画が進行中です。この物語は、戦争の中で育まれた命の尊さと平和の大切さを伝える貴重な証です。
ヒョウという動物について
ハチの物語をより深く理解するために、当時の歴史的背景とヒョウという動物について知ることが大切です。なぜ成岡さんと兵士たちが、本来は危険な野生動物であるヒョウの子に深い愛情を注ぎ、戦場という過酷な環境にもかかわらず大切に育てたのか。その特別な絆を理解するには、ヒョウという生き物についての知識も役立ちます。
ハチが生きていた1940年代から現在に至るまで、野生のヒョウを取り巻く環境は大きく変化し、多くの種が絶滅の危機に瀕しています。ここでは、ハチの物語の理解を深めるために、ヒョウについての基本的な情報をご紹介します。
ヒョウの特徴と生態
ネコ科ヒョウ属に属する猛獣。ライオン、トラに次ぐ大型。体長150~180cm、尾長50~100cm、アフリカから東南アジア、ロシア、極東に広く分布する。黄褐色の体毛に黒い斑点(バラ斑)が特徴的で、その紋様は個体ごとに異なり、いわば指紋のように個体識別に使われる。木登りが得意。主に中型草食動物を捕食するが、さまざまな生き物をたべる柔軟性をもっている。寿命は12~17年。

ハチの物語をより深く知る
戦場を徘徊する野生の豹
太平洋戦争期、高知県出身の鯨部隊が駐屯していた中国の中支地域には、野生の豹が多数生息していた。それらの豹は、地元の集落の家畜や子どもたちに危害をもたらすために、村人たちは、豹の駆除を部隊に願い出ていた。
野生の豹は、兵士たちにとって格好の射撃の的であり、射止めた豹は、時には食用、時には防寒用のチョッキなどに加工されるなど実用面で重宝されていた。
子豹と兵士との出会い
ある日のこと、野生の豹のすみかが、銅山の洞窟で見つかり、火責めをするが、親豹は背後の巣穴から逃走する。残されたのは、よちよち歩きの子豹の雄と雌の2匹。
兵士たちは、2匹のうち首筋にやけどを負った雄の子豹を抱きかかえ、残る子豹は銅山の技師に託し、傷を負った雄の子豹を部隊で飼うことにした。

ハチの部隊での生活
名前は、編成部隊の第8中隊から「ハチ」と名付けられた。飼育の世話には成岡正久下士官(曹長)が当たった。当然、野生の豹を部隊内で飼うことへの批判も起こった。食用にもしない、防寒具にもしない、しかも余計な食糧がいる野生の豹を軍隊で飼うとは何事だ。しかも、豹は人間に慣れないというではないか。誹謗、中傷も意に介せず成岡兵は子豹を育てていく。風呂に入る時も、水浴びの時も、寝る時も、成岡兵が病気で床に伏せた時も起居を共にした。ハチと成岡兵の交流は、戦場で虚しさに捉えられ、希望を失っていた兵士たちに優しい心と愛情を蘇らせた。

戦場から上野の動物園へ
しかし、部隊に転戦命令が下る。大きくなった豹を連れて移動はできない。かと言って、野生に返せば人馴れしているハチは間違いなく撃ち殺されるだろう。そこでハチは上野の動物園に搬送されることになった。ハチは昭和17年5月30日に上野の動物園に搬送された。上野の動物園では、兵隊さんの育てた豹として話題を呼んだ。当時、学習院初等科の2年生であられた上皇陛下もハチを見学されていた。ハチは殿下の前でゴロゴロと喉を鳴らし頭と体を柵にすり寄せたそうである。

戦局の悪化と猛獣たちの殺処分
一方、空襲が激しくなり動物園は猛獣たちの逃亡を避けるため、殺処分を行った。この処分により、クマ、ライオン、トラたちとともに人気者のゾウも殺された。ハチは、昭和18年8月18日毒殺され剥製にされた。この時、ハチの体重は、瘦せ細って36.5 kg.だったという。
ハチは剥製となり高知へ
ハチは剥製として動物園に保管されていたが、戦後に復員してきた元飼主・成岡さんに引きとられ、成岡さんの経営する喫茶店やレストラン等に置かれていた。そして昭和56年1月に成岡家の近くに「高知市子ども科学図書館」(桟橋通り2丁目)がオープンする。それを機にハチの剥製は当館に寄贈、移管された。そして、ハチの剥製は、命の尊さを物語る「平和」「反戦」のシンボルとして市民や子供たちに親しまれるようになる。
修復から蘇ったハチ
一方、ハチの剥製も長年の経年劣化が目立つようになり、修復の時期にさしかかっていた。俳優の浜畑賢吉さんをはじめ地元高知の田村千賀さん、高橋明子さんら多くの人々によって募金運動が進められ、戦場の天使・ハチの精悍な姿が蘇った。その雄姿は、「子ども科学図書館」から「高知みらい科学館」へと受け継がれ現在、生き物展示の中で、ひと際異彩を放っている。

ハチと兵士の現在までの出来事
・ 2月28日、中国湖北省の牛頭山で成岡正久小隊長が生後間もないヒョウの子を発見、救出
・ 第8中隊にちなんで「ハチ」と命名
・ 兵士たちの愛情を受けながら部隊で育てられる

・ 5月5日、成岡さんの部隊が前線への移動命令を受ける
・ ハチを日本へ送る決断をし、上野動物園への受け入れが決定
・ 5月30日、ハチが上野動物園に到着、人気者となる
・ 12月6日、明仁皇太子(当時)が上野動物園を訪問し、ハチを見学。

・ 4月、福田三郎園長代理からハチの近況を伝える手紙が成岡さんに届く
・ 7月、東京都による「戦時猛獣処分」が決定
・ 8月18日、ハチが毒殺され、剥製に
・ 8月26日、休暇で帰国した成岡さんが上野動物園を訪問するも、既にハチは亡くなっていた
・ 成岡さんが終戦後に帰国、福田園長代理の協力によりハチの剥製を譲り受ける

・ 成岡さんが『豹と兵隊』を出版

・ NHKでハチの物語がドキュメンタリー番組として放送
・ 成岡さんがハチの剥製を高知市子ども科学図書館に寄贈

・ 1月8日、成岡正久さん死去
・ 俳優 浜畑賢吉さんが童話『戦場の天使』を出版
・ ハチの剥製修復のための募金活動が始まる
・ 8月25日、修復されたハチの剥製が公開
・ 高知市子ども科学図書館が「日本動物大賞社会貢献賞」を受賞(ハチの物語による貢献)
・ ハチの剥製が「オーテピア高知みらい科学館」に移設
・ 門田隆将の絵本『ヒョウのハチ』など、複数の関連書籍が出版

・ 戦後80年を記念し「ハチの像を建てる会」が発足
・ 8月17日、オーテピア敷地内にハチと兵士の像の建立を計画
・ 平和と命の尊厳を伝えるための募金活動が進行中

ハチと兵士の像建立プロジェクトにご支援を
戦争という過酷な環境の中で生まれた、ヒョウのハチと成岡正久小隊長の物語。この感動的なストーリーが伝える「命の尊さ」と「平和の大切さ」を後世に伝えるため、2025年の戦後80年を記念して、オーテピアの敷地内にハチと兵士の像を建立するプロジェクトが進行中です。
この像は単なる記念碑ではなく、平和を願う心を未来に受け継ぐシンボルとなります。ぜひ皆様のご支援をお願いいたします。
募金目標額:550万円
銀行振込
四国銀行 弘岡支店(店番号/852)
普通預金:5127907
口座名義:ハチの像を建てる会 会計 宮脇真理子
ゆうちょ銀行振込
◆郵便局からの振込
記号: 16410
番号: 13633701
◆他行からの振込
店名: 六四八(ロクヨンハチ)
店番: 648
預金種目: 普通預金
口座番号: 1363370
口座名義: ハチの像を建てる会
寄付金の使途
- 像の制作・ブロンズ鋳造費: 300万円
- 台座(石材・加工・設置等): 100万円
- 事業費(”ヒョウのハチ”原画展・除幕式・事務費など): 150万円
像の制作者
彫刻家 大野 良一(新制作協会会員)、吉岡 郷継
建立予定地
オーテピア敷地内 高知市追手筋2-1-1
完成予定日: 2025年8月17日