ハチと兵士の物語

心に生き続けるヒョウのハチと成岡正久さん
出会いから永遠の絆へ
1941年、中国戦線で日本軍「鯨部隊」の成岡正久さんは、湖北省の山中で目も見えない赤ちゃんヒョウを救い出しました。第8中隊にちなんで「ハチ」と名付けられたヒョウは、成岡さんと仲間たちに愛されながら成長しました。
やがて戦局の悪化により、ハチは1942年に日本へ送られ上野動物園で過ごすことになりましたが、翌年の「戦時猛獣処分」で命を落としました。戦後、剥製となったハチは成岡さんのもとに戻り、その後高知市に寄贈され、今は新築されたオーテピア「高知みらい科学館」で平和の大切さを静かに伝えています。
出会いと絆
1941年、中国の戦場で成岡正久さんが救った赤ちゃんヒョウのハチ。第8中隊にちなんで名付けられたハチは、兵士たちの愛情を受けて成長し、部隊の心の支えとなりました。軍服姿の兵士たちにだけ懐くという不思議な絆が、戦場の中で奇跡のような光を灯しました。

別れと再会
1942年、戦況悪化によりハチは上野動物園へ。翌年の「戦時猛獣処分」で命を落とします。戦後、帰国した成岡さんはハチの死を知り深く悲しみましたが、動物園の厚意により剥製となったハチは成岡さんのもとへ。約45年間、二人は再び共に過ごしました。

平和への願い
1981年に、成岡さんは高知市の子ども科学図書館にハチを寄贈しました。「戦争の悲しさと平和の尊さを伝えてほしい」という願いからでした。現在オーテピア高知みらい科学館で展示されるハチの剥製は、2015年に第7回動物大賞 社会貢献賞受賞を受賞。終戦80年の2025年、この物語を未来へ継ぐハチと兵士の記念像の建立が進んでいます。
平和を希求するハチの剥製




1943年に上野動物園で「戦時猛獣処分」により命を落としたハチは、剥製となって戦後成岡さんのもとへ帰りました。
福田三郎園長代理の特別な計らいがあってこそ実現した再会でした。
成岡さんは長年ハチを自宅に置き、常に語りかけていたといいます。1981年、「戦争の悲しみと平和の尊さを子どもたちに伝えてほしい」という願いを込めて高知市子ども科学図書館に寄贈されました。
戦争によって引き裂かれた絆の物語は、今なお私たちに平和の大切さを静かに訴えかけています。
ハチの剥製は、長い歳月を経て劣化が進んでいましたが、2009年に「ハチの会」の尽力により修復されました。
多くの人々からの寄付によって実現したこの修復は、ハチの物語を後世に残したいという高知市民の思いの表れでもあります。
現在は「オーテピア高知みらい科学館」で大切に保管・展示され、2015年には平和の象徴としての価値が認められ「日本動物大賞社会貢献賞」を受賞しました。
終戦80年の節目となる2025年、私たちはハチと兵士の像を建立することで、この平和への願いを未来へと継承していきます。

写真
記憶を形に、
平和への願いを込めて
ハチと兵士の像 建設プロジェクト
高知の地にハチと兵士の記念像を

終戦80年の節目を迎える2025年、私たちはハチと兵士の絆を象徴する銅像を高知市のオーテピア敷地内に建立します。

日中戦争下の1941年、「鯨部隊」の成岡さんに救われ愛されたヒョウのハチは、戦時中の処分で命を落としながらも、剥製となって高知に戻り、現在も多くの人々に平和の大切さを訴えかけています。
この物語を未来へつなぐため、彫刻家・大野良一氏と吉岡郷継氏の手により、ハチと成岡さんが寄り添う姿を銅像として残します。
台座には「私たちの青春時代は戦争で明け暮れた」という成岡さんの言葉が刻まれ、二度と戦争の悲劇を繰り返さないというメッセージを伝えていきます。

建立予定地
オーテピア敷地内 高知市追手筋 2-1-1
完成 令和7年8月17日(日)